Ancient times |
坂本には、古くに渡来系氏族が移り住んだと言われています。湖西地区には、多くの古墳群がありますが、坂本にも日吉大社境内をはじめ、穴太(あのう)、裳立山(もたてやま)などに多くの古墳があります。形状は横穴式石室を有する小円墳で四壁をドーム状に石が積まれ、朝鮮半島に見られる 特徴を示しています。 |
Middle ages |
中世の坂本は現在の坂本(上坂本)と下阪本(下坂本)の両地区を含む広い概念とされていました。 下坂本には、湖上回漕路の「関」が設けられ、その勧過料(かんかりょう)が延暦寺の運営費用に充てられていました。 室町時代には、坂本は近江一の酒屋、土倉(どそう)、問丸(といまる)が密集する経済の町としてさらに発展を遂げました。 文亀元年(1501)の大火による被害は在家3,000軒を数えたと言われている事からも、都市の規模が推察されます。 |
The early modern period |
元亀二年(1571)の織田信長の焼き討ち以降は急速に寂れていきましたが、豊臣、徳川政権では延暦寺、日吉大社の復興が行われ、再び賑わいを取り戻しました。 延暦寺には徳川家から坂本1,500万石、下坂本3,500万石が安堵(あんど)され、この所領を運営してゆくために天台座主を頂点とした僧侶の組織が形成されました。 近世の公人の家柄は世襲、貴種でない為、中方(ちゅうがた)止まりで上方(かみがた)まで進むものはまれでした。 |
延暦寺の僧侶は、次の組織となっていました。 【上方】 皇族・貴族出身者 衆徒 清徒の学生 山徒 衆徒のうち妻帯した者 寺家執当(じげしゅうとう)山中の営事を務める者 四至内(しいしない) 山領内(さんりょうない)の雑務を務める者 【中方】 衆徒の末席に列する者 【下僧】 享保六年(1721)の記録には、 日吉門社家(ひよしもんしゃけ)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7人 日吉山門宮仕(ひよしもんみやじ)・・・・・・・・・・・・・・・・・・19人 山門祭礼夜営警固役(さんもんれいやけいごやく) ・・・・・・・・・・・1人 山門領諸事仕置方役人(さんもんりょうしょじつかえおきがたやくにん)・8人 公人(くにん)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・187人 衆徒召使(しゅうとめしつかい)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・18人 門前役(もんぜんやく)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・20人 と記録されています。 |
〒520-0113
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坂本観光案内所
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English Guide |
開館時間 Opening hous |
9時~17時 (入館は16時30分まで) |
休館日 Closed |
月曜(祝休日は開園)・祝休日の翌日 12月26日~12月31日 |
料金 Admission Fee |
大人・・・100円(15人以上 =団体割引料金80円) 小学生・・・50円(15人以上 =団体割引料金40円) 障害者・・・無料(市内在住・ 介護者一人含む) |
アクセス Access |
JR湖西線「比叡山坂本」駅から山手へ徒歩約10分 京阪「坂本比叡山口」駅から徒歩約2分 |
地図( MAP) |
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